八本脚の蝶

八本脚の蝶 二階堂 奥歯 二階堂奥歯さんのことを知ったのはいつのことだったか。 たしか穂村弘さんから彼女のことを知ったので、大学生2年生の頃であろう。 いまだにweb上に残っている彼女の日記を初めて見たときの衝撃は今も忘れられない。 それもその筈、彼女の日記は唐突に「最後のお知らせ」から始まるからだ。 もちろん、日記であるから「はじまり」は存在する。しかし、web上に展開する日記は最終更新日が頭にくる。当たり前の話だけれど、盛大なネタバレをされた気分になったのだ。 奥歯さんの書く文は非常に美しく、苦しく、引き込まれる。 書痴ともいうべき彼女の膨大な知識のバックボーンから紡がれる文に、わたしは尊敬し、嫉妬した。 書籍とは、言葉とは、自分とは、世界とは、について嬉々として言葉を綴る才能に嫉妬した。 しかし、それ以上に、彼女に親近感を感じてしまったのだ。 もちろん彼女の知識には遠く及ばないが、その少し外にある、少女でも女でもない狭間のような空間にいながらも不安定に揺れている、それでいて何かを掴もうと暗中模索しているところに、自分を重ねていた。 そしてその手記が書籍化されているということを知るのはそう遠くなかったが、 実物の書籍を手にしたのはほんの5日前のことである。 なぜか。 なぜか、書籍に手を伸ばすことが出来なかった。 web上に彼女のブログが残り、いつでも読める状況にあるから、ではない。 たぶん、認めたくなかったのだと思う。 わたしは彼女のことを何も知らないし、彼女の存在を知ったのもほんの4年前のことである。 だからこそ、認めたくなくて、彼女がもういないという徹底的な証明を手元に残しておきたくなかったんだろう。 でも、わたしを取り巻く状況が変わってしまった。 奥歯さんの言葉が、考え方が、手元に必要になってしまった。 いいのか悪いのかはわからない。 似た境遇にあるからだとか、そんな単純な話でもない。 指針がほしかったわけでもない。 只、猛烈に彼女の言葉がほしくて、そのタイミングが今だったのだろう。 わたしのかみは人でした。 でも、もうかみではなくなってしまいました。 しかし、その神性はいまだに色濃くわたしのなかに残っているのです。 信仰と執着の境界はどこですか奥歯さん。...