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1月, 2015の投稿を表示しています

八本脚の蝶

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八本脚の蝶  二階堂 奥歯 二階堂奥歯さんのことを知ったのはいつのことだったか。 たしか穂村弘さんから彼女のことを知ったので、大学生2年生の頃であろう。 いまだにweb上に残っている彼女の日記を初めて見たときの衝撃は今も忘れられない。 それもその筈、彼女の日記は唐突に「最後のお知らせ」から始まるからだ。 もちろん、日記であるから「はじまり」は存在する。しかし、web上に展開する日記は最終更新日が頭にくる。当たり前の話だけれど、盛大なネタバレをされた気分になったのだ。 奥歯さんの書く文は非常に美しく、苦しく、引き込まれる。 書痴ともいうべき彼女の膨大な知識のバックボーンから紡がれる文に、わたしは尊敬し、嫉妬した。 書籍とは、言葉とは、自分とは、世界とは、について嬉々として言葉を綴る才能に嫉妬した。 しかし、それ以上に、彼女に親近感を感じてしまったのだ。 もちろん彼女の知識には遠く及ばないが、その少し外にある、少女でも女でもない狭間のような空間にいながらも不安定に揺れている、それでいて何かを掴もうと暗中模索しているところに、自分を重ねていた。 そしてその手記が書籍化されているということを知るのはそう遠くなかったが、 実物の書籍を手にしたのはほんの5日前のことである。 なぜか。 なぜか、書籍に手を伸ばすことが出来なかった。 web上に彼女のブログが残り、いつでも読める状況にあるから、ではない。 たぶん、認めたくなかったのだと思う。 わたしは彼女のことを何も知らないし、彼女の存在を知ったのもほんの4年前のことである。 だからこそ、認めたくなくて、彼女がもういないという徹底的な証明を手元に残しておきたくなかったんだろう。 でも、わたしを取り巻く状況が変わってしまった。 奥歯さんの言葉が、考え方が、手元に必要になってしまった。 いいのか悪いのかはわからない。 似た境遇にあるからだとか、そんな単純な話でもない。 指針がほしかったわけでもない。 只、猛烈に彼女の言葉がほしくて、そのタイミングが今だったのだろう。 わたしのかみは人でした。 でも、もうかみではなくなってしまいました。 しかし、その神性はいまだに色濃くわたしのなかに残っているのです。 信仰と執着の境界はどこですか奥歯さん。 わた

20150124

神は死んだし、わたしは少女ではなくなった。 自分を取り巻くあらゆる事象についてなんとなく分かってきて、自分が置かれている状況を静観しているもう一人のわたしがいることも知っている。 そのもう一人のわたしはとても冷静で、絶対に一時の感情に身を委ねず、人として、倫理的に、一般的に“正しい”と看做される答えを提示してくる。五月蝿いくらいに。 それはもう冷酷な程に絶対的に正しい。 わからない。 わからない。 わからない。 わたしにとって唯一であった神はもう死んでしまった。人間になってしまった。 わからない。何故ですか。何故勝手に人間に成り下がってしまったのですか。 何を信じて何を信仰すればいいのですか。だったら初めから神になんかならないで下さい非常に迷惑です。知りたくなかった関わりたくなかった。 祈りを聞いてくれても、叶えてはくれない。懺悔を聞いてくれても、赦してはくれない。 でも、聞いてくれるだけでよかった。 なのに、 なのに、 なのに、 あなたは。

20150119

かみはしんだし、 魔法はとっくに解けている。 4年かけて終わらせた筈の壮大なRPG。 2周目があることを唐突に突きつけられてどうしたものかと途方に暮れている。 決断するのは、私だ。

Merry

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気付いたら年が明けて早2週間。 連日の強行スケジュールで時間感覚が全くないまま諾々と日々を過ごしている。猛省。 年末は弾丸で金沢とかいったんだけど。 日本海のどんよりとした寒空を眺めつつ露天風呂(激寒)に浸かってたんだけど。 なぜか年明けてからは自分の時間がなかなか確保できない。 ああでもどうしても食べたくて文藝片手にホットケーキむしゃむしゃしてたわ。 でも5刷決まったしはっぴっぴー。 活字と紙と書籍に携わるお仕事ができてしあわせだな! 子どものころあまりの友達の少なさに、というかボス格の子に嫌われたせいなんだけど、本しか友達がいなくて本さえあれば大丈夫と呪文のように唱えていたあの頃のかわいそう(笑)なわたしに教えてあげたいね。 なんとかひとりで生きてるよ。ぎりぎり。 今年は博覧強記になるべく多くの本を読み知識を蓄え、伊勢丹でお洋服を買い漁り、わたしはわたしのために湯水の如くお金を使う。のだ。去年ひとつ趣味を紛失したからこれくらい余裕だわ。 わたしのすきなとき。 面白い本を見つけたとき、それを読んで面白かったとき、可愛いお洋服にはじめて袖を通すとき、美容室・ネイル・まつえく・エステでの施術が終わったとき。 これら全てを装着して今年もわたしは生きていく。だってひつじ年だもの。 今年くらいはなんかいいことあってもいいでしょかみさま。 ああホドロフスキーが見たいな。 リアリティのダンス見れてない。