エピクロスの肋骨
















ダンディズムと軽さのエレガンスを基調とする“SHIBUSAWA CONTE FANTASTIQUE”(シブサワコントファンタスティック)の出発を確然と告知する表題作ほか、才能の萌芽が燦たる処女作「撲滅の賦」、巧緻で瀟洒な小品「錬金術的コント」の三篇を収録。著者自らが死の直前に発掘を予言していた最初期作品集。(帯より)


先日、前々から行ってみたいと思っていた清澄白河の古書ドリスにて購入。
文庫で持ってるんだけど装丁がとても美しくて保存状態も良く、なにより撲滅の賦がシブサワ作品のなかでも特に好きなので迷わず購入。
版元が違ったり装丁が違うとついつい集めたくなっちゃう。
収録作品は「撲滅の賦」「エピクロスの肋骨」「錬金術的コント」の三篇、それに巖谷國士の解説。 最初期における幻想的小宇宙集。これが初期の作品なのかとただただ圧倒されるばかり。天才が天才たる所以かしら。


撲滅の賦について拙い思考を巡らす。
内と外、個と全、そして大袈裟なまでの「不安」が紡ぎだす自意識と無意識の狭間に体が深く迄沈んでいくような、そんな印象。
見る/見られるの境界はどんどん曖昧になり、意識は次第に倒錯していく。
画家である美奈子のイメージの源泉であった「私」は
「腔腸動物とセラトーダスの合の子になったり、手足の生えたタツノオトシゴになったり、あるいはまた一足跳びにアンモン貝の耳を持った抒情詩人に昇格したり」していた。
しかし、世界を構成していた客体と主体は入れ替わっていて「私」は金魚に劣る存在だということに気付かされるのだ。つまるところ、金魚に対する不安や嫉妬、焦燥を伴う単純な衝動から物語は展開していく。
9つの世界を内包している世界樹、イグドラジィル(=ユグドラシル)も客体と主体の関係を幻想に落とし込んだ結果なのでは。



来月頭に金沢へ行くので、泉鏡花記念館の澁澤龍彦展に会期ぎりぎりで滑り込む予定。
楽しみすぎて絶賛読み返し中。
読み始めたのは高校生の頃で、当時は只漠然と澁澤先生ステキ!そしてそんなわたしもステキ!だった気がする。色々拗らせていたんだな恥ずかしい。
でも切欠はどうであれ、早い内から作品に触れていたことは今のわたしにとってとても大切なことで、幻想文学に傾倒していたから今こうなったんだと思うと面白いな。
多分、いや、きっとまだ拗らせてるんだろうけど、幻想文学が好きな方々だって、みんなこうなのでしょう?
わたしはまだまだ知識も語彙も乏しいので、素直に吸収できるうちに吸収をし、造詣を深めていきたい所存。
いまだに拗らせているわたしは、金魚を見ると金魚の方がよっぽどお魚に似ているわと思ってしまうし、あ、宇宙の崩壊スケルツァンド…などと呪文のように時折呟くのだ。


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