無垢の祈り


最近といえば本をろくに読まず(読めず)、渋谷アップリンクにて絶賛公開中、平山夢明原作「無垢の祈り」を公開初日に見てきたり。してました。しかも上映後にはトーク付き。
原作を初めて読んだのはもう何年前か忘れてしまったけど、そのグロテスクなまでの鮮烈さと我々の直ぐ隣にいる不条理に気付かされた衝撃は忘れられない。「独白するユニバーサル横メルカトル」のなかで一番印象に残っている本作が映画化された(される)と知ったのは数年前だったか。それから完成したものの上映できないだとか平山さんでさえこれは流石に…と言っただとかそういう情報だけは入ってくるのに公開はされない。Youtubeにあげられたプロモーション動画を見るしかない。本当に東京で見ることができる日がくるのかしら?とさえ思っていた、のに、見れちゃったよ。渋谷で。とても近い。

映画を見に行く前に原作を読み返す。やっぱり心がひりひりとする。雑多な渋谷の街で人の波をずんずんと掻き分けながら歩く。上映がはじまるまでどことなくずっと緊張していた。あそこはどう表現されるのかな。あそこはちゃんと描写されているのかな。原作の「無垢の祈り」はハッピーエンドだとわたしは捉えているんだけど、他の人はどうなんだろう。

ああ、全て、杞憂だった。映像から、音から、圧が物凄かった。それこそ呼吸すら忘れてしまいそうになるほど。中盤から後半にかけては両手を固く結びずっと何かに祈っていた。早く助けて。早く助けて。早く。お願い。
上映後のトークショーで平山さんが「小説は読者と双方向の関係にあって、読者が文章から情景を想像することができる。でも映像は一方的にイメージを、情報を見ている人に与えるものだから、そのイメージが見ている人の想像を超える可能性があってそれを超えてしまうとまずい(意訳)」と言っていたが、わたしは凄くいい意味で圧倒された。見てよかった。視覚と聴覚から得られる情報がわたしを支配し、わたしの解釈とは異なる方向からの解釈を提示されてもなるほどと素直に受け入れることができた。しかしフミちゃんの義父役を演じたBBゴローは凄まじかったなあ。生理的、本能的な嫌悪感しか感じなかったし、ラストはこの程度じゃ生温いとさえ思った。



人が何かに救いを求めたり祈ることで少なからず心が軽くなることがあるわけで、その対象がなんであれその行為自体に貴賎はない。勿論救いや祈りを必要としない人もいるだろうが、そういう人が救いや祈りを否定できるわけではない。こちらのことなんて放っておいてほしいんですよ、助けてほしかったら言いますよ、貴方には言いませんけどね。


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